Freelance Hair & Makeup Artist 大和 佳子(Yamato Yoshiko)
京都市立銅駝美術工芸高等学校 服飾科卒業。
在学中に美容学校の通信科に通い,サロンで,ヘア,メイク,エステ,着付けなどの基礎を学ぶ。4年間後、撮影などのヘア&メイク事務所に所属。その後,独立しフリーとなり,現在は恵比寿にある,ヘアー&メイクサロン「liaison」で活動中。
「色に付いてのコラムを」と,依頼され,どうしたものかと目を白黒させていたのですがエイ!何事も試してみなければ始らないといった,いい意味でのチャレンジ精神が勢いをつけ,気が付いたときには二つ返事でOKしてしまい,今では顔を真っ青にしてこの原稿用紙とにらめっこしています。
何度となく下書きを繰り返し,読み直しながらあまりに稚拙な文章に顔を真っ赤にしたり,,,
と,ここまでの文にも顔と色で精神状態?を表す言葉がいろいろ出てきたのですが,私の仕事はそれこそ顔に色をつける仕事です。
メークアップと聞くと男性の方はあまりピンとこないと思うのですが,少し時代をさかのぼりメイクの流行などを振り返ってみたいと思います。と言っても白黒テレビの時代までは私の記憶も定かではではないのですが,和田アキ子さんの若いころや,ザ・ピーナッツなどのメイクは「びっくりおめめ」と言うか,アイライン上下バッチリつけまつげ,泣くと黒い涙が,,,なんて時代からサーファー,ハマトラ[1]と言った「聖子ちゃんカット」にブルーのアイシャドー,ピンクの口紅なんて言うのもありました。
このころから私もメイクに興味を持ち出しましたが,今写真を見るとすごく似合っていないし,肌色も全く考えていないですよね。でも,「赤信号みんなで渡れば,,,」状態で,その時はカッコイイと思っていたのです。そして,「夜霧のハウスマヌカン」と言う曲も流行った時代で,COMME des GARCONS (コム・デ・ギャルソン)[2]やY’s(ワイズ)[3]の黒一色,太い眉にダークな口紅,この時は黒の口紅までありました。男性に媚びない自立した女,キャリアウーマンとライフスタイルまで影響されていました。そしてバブル全盛,ジュリアナのお立ち台[4]ではワンレン[5],ボディコン,ローズの口紅と言った一気に女女した,玉の輿狙いのようなメイク,そして,ガングロ,ヤマンバなんて記憶に新しいですよね。
かなり飛ばして並べてみたのですが,顔と言う限られた面積でよくこれだけいろいろと考えるものだと思いませんか?私もガングロはさすがに年が合わずしませんでしたが,色々な顔をしてきたなーと恥ずかしくなりながら思い出しています。
さて,今回のテーマである「色」についてですが,私は仕事の中で化粧品メーカーの外部アーティストとして,一般のお客様にメイクの仕方をアドバイスしたり,色を選んで差し上げたりしています。メーカーでは口紅やアイシャドーなどメイク商品を「色物」といっています。もちろん私がアドバイスするのは「色物」なのですが,色を選ぶ方法としては,最近流行のパーソナルカラーのように肌の色や髪の色,瞳の色などを基本に選ぶ方法が一番色彩学的かと思いますし,その方が一番きれいに見えるはずなのですが,,,,
私が実際に選ぶときにはあまりその事には,縛られずに色の持つイメージや,お客様の好みを大切にしています。ただ,この場合の好みとは,この色の口紅が好きとか言うものではなく,どのように見られたいかと言うことです。一般のお客様と言うのは,明度や彩度なんて「なに?」と言う方が大多数なのです。ですから,あまり理屈ぽく説明したり,合う色だからとメイクしてもお顔の表情が曇ってしまうことが多いのです。(事実,日本で一番売れている色の口紅が,日本人の平均的な肌色に合わない色だなんてデータもあったぐらいです。)
メイクと言うのはメイクしている人が,いい顔にならなければいけないと思うのです。そして,どう見られたいか?なりたい自分に化ける?ためのものなのです。ですから色の持つイメージが役に立ちます。例えば,やさしく見られたいと思えば,ピンクやラベンダーなどのようなパステル系のメイクをすればいいですし,シャープでクールな印象を与えたければ,少しダークな色味でメイクすればいいのです。もちろんメイクではラインもとても大事な要素なのですが,それにはテクニックが要りますので,簡単に誰でも出来る色選びをメインに考えているのです。
私にとってのメイクは,「顔に色」をつけるだけでなく「心に色」をつけていくことなのです。一般の方が,メイクによっていい表情になり,生き生きと日々を楽しんでいただけたり,自分自身に自信を持っていただき,プラス思考になっていただければ,とても嬉しく思います。
ほとんど,メイクの話になってしまいましたが,私にとって「色」イコールメイクなのでお許しください。
注釈
[1] 1970年代後半から流行した横浜のトラディショナルファション。ハイソックスに「ミハマ」の靴,「キタムラ」のバックが定番でした。 [2] 1985年ごろのデザイナーブームの中でもトップブランド。川久保 玲さんがデザインする黒を基調にした斬新なブランド。 [3] [2]と同じく1985年に流行。山本 ようじ氏がデサインするブランド。ワイルドな黒のイメージ。 [4] 1992年に一世を風靡した東京のディスコ。ミニスカートで台に立ち扇子を振りながら踊る姿はテレビにもよく登場しました。 [5] 髪型の名称。ワンレングスっと言ってストレートで同じラインの髪